2012年9月2日日曜日

コンペのこと


さるコンペティションについて考えたこと

今を去ること一年あまり前、とあるコンペに応募した。
そのとき参加したことを批判というか非難されて些か驚いた。

私個人の基本方針としてコンペは日程と内容に無理がなければ極力参加するようにしている。
日程に関してはむしろ多少無理があっても参加している。

積極的に参加したいと思うのは審査員に尊敬する建築家や興味のある人物が入っているときだ。
賞金の多寡は気にしていない。
どうせ取れないのが大半なのだから気にしてもしょうがないのだ。
金銭について考えれば採算性を重視することになってコンペは不毛な限りだ。
割のいい家庭教師でもやったほうが稼げる。

ここしばらく、というのは2011.3.11以降の日本の状況を鑑みてtepcoのインターカレッジには躊躇してしまうことはあるが主催者で選ぶというようなことは基本的にない。

しかし、その時に私(というよりも私達応募者)に当てられた批判というのは、
「コンペをなんだと思っているだ!このコンペはコンペの価値を貶めている!参加者は共犯だ」
「コンペを愚弄する気か!」
「国際と銘打っておきながら実際には日本の学生と若手の馴れ合い」
「若手の建築家の売名に肩を貸して学生は馬鹿だな…」
といったものだった。 私の認識としては。

このコンペは枠組が普通とは異なっていて、そのことに批判がなされていた。
私はこの時初めてコンペに参加することに随分と思想的な価値判断が伴っていることを思い知った。

建築家は時にかなり際どいところとも付き合いを持つ。
あまり具体的には書きたくないが、宗教法人に巨大建築を頼まれたりであるとか。
古い例を挙げればドイツのシュペアーのような人もいる。

しかしこれはそういう批判ではなく、コンペティションそのものの価値、あり方が問われていた。

冷静になって考えれば賞を量産するだけのイベントとも言えるし、
何も考えずに応募したのは軽薄に過ぎたかもしれない。
なおかつ件のコンペに関しては手のひらを返して批判するという気にもならない。
価値観の転倒を起こすほどの大事とも思えないからだ。

ベニスでのイソザキ展を通してまたコンペティションについて考える機会があったが、
競技の枠組み自体に工夫をしようとすると非常に難しいことを感じる。

今後、コンペを企画する側になることはほぼありえないが、
プロポーザル批判などさまざまな議論があることだけは気に留めておきたい。
またグダグダ書いてしまったので「そもそもなぜコンペをやるのか論」は別の機会にする。

ともかく、むやみに参加したり請け合うのはよろしくないと思っている。

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