2012年12月30日日曜日

rendering days

waiting for fun part, photoshop.



2012年11月19日月曜日

時間管理

時間管理はノウハウの問題。
人間性とか性格じゃないとおもう。
建築のプレゼンであれば、

  1. 順番を気にせずにやるべきことをとにかく細かく箇条書きにする。
  2. 序列を付ける。(前後関係と優先度)
  3. 使える全体の時間を見て各項目の時間配分を決める


この段階で時間におさまらないことが判明したら優先順位が低いものから切り捨てる。

3.が特に重要。

この判断ができていれば必ず間に合う。というか間に合うように判断する。



それと
  • 提出するための作業
  • 点数を上げて勝つための作業
の二段階で組む。

提出のための作業は安全を取りながら時間におさめて余裕の範囲内で進めれば最悪の事態にはならない。


大切なのは全体像を把握してその中で配分すること。
したがってレイアウトの作成をまずやる。

学部の学生とかは経験が少なくて何にどれだけ時間がかかるかの判断を間違うのだけど、
意識して時間を見ていくと判断の精度が上がってくる。

というわけで3ステップのタイムマネジメントはオススメ。

2012年10月10日水曜日

群像劇 Cluster Workshop


Cluster Workshopとは、2015年にミラノで開催される万国博覧会のため、
2012年9月〜10月に行われた学生ワークショップである。

ミラノ工科大をホストとして世界各国から集まった学生が設計を行った。
学生にコンペティション形式の設計課題を出題してその成果物を実際のエキスポ会場のコンセプトデザインに活かそうという考えである。

イタリア国内からはミラノ工科大以外にもナポリ、ヴェネツィアなども学生を派遣していた。
南アフリカ、イスラエル、パレスチナなど普段お目にかかることの少ない国の学生もいて国際色がゆたかだった。

実際の活動はイタリア+2カ国の学生で”クラスター”が作られその中で行われた。
この”クラスター”というのがタイトルになっている通りキモである。

今回のエキスポのマスタープランは、
これまでのそれぞれの国を誇示するようなパヴィリオンが並ぶ万博会場に対して、
アンチ・テーゼとして”クラスター”と言う概念を導入している。

食をテーマとするこの万博の趣旨に沿って各クラスターには「米」「カカオ」など食にまつわるテーマが設定されて、
それに相応しい国がそのクラスターの中に入りパヴィリオンをもつ。

クラスターは地域や経済的な開発度合いとはほとんど関係なく設定されており、
金銭的に余裕のない国がジョイント・パヴィリオンを持つのとは異なる。

”クラスター”は群像として表れることを期待されているがそれは大きなひとつのボリュームとなるということとは違う。
大屋根でつなぐような解決方法ではない形で全体性を持たせつつ11m角のヴォリュームが立ち並ぶ群像を創ることが求められた。


日本からは東大の大学院生が参加し、
フィンランドのアアルト大学の建築とプロダクトデザインの学生とミラノ工科大の学生で混成チーム3グループで作業した。
このクラスターのテーマは"Sea and Islands"で太平洋・インド洋・カリブ海と世界中に散らばった17カ国の候補のうち幾つかが入る予定である。

実際に入居(?)する国が未定な上、
他のクラスターと違い食材そのものをテーマとはしておらず(漁業が未開発もあり安易にシーフードをテーマにはできない)かなり厄介な設定だった。

おまけに何人かの学生が全くグループワークをやるつもりがなく、
ひたすら自己主張だけして挙句、勝手にプレゼンテーションを変えてしまったりととんでもなことをしてくれた。

ワークショップの運営に関して改善策をかんがえると、

  1. 事前にポートフォリオレビューをして、誰が何をできるのか把握してから作業に当たる。
  2. きちんとリーダーをきめて(あるいはTAがコントロールして)作業をすすめる。
  3. プロダクトデザインやインテリアデザインの学生を無理に建築デザインに巻き込まない。
  4. 模型製作の道具を提供するor参加者に持て来てもらう(当たり前だ)


今回は何人かのミラノ工科大学生にも問題があったように感じる。

エンジニアとしてのプライドを持っているらしく、

「ヨソの大学を出るイタリアのアーキテクトはお絵描きだけで建物のことなんか全然わかってないんだ。
俺達はエンジニアでアーキテクトだからどっちもちゃんとわかってるんだぜ!」

と誇らしげに言っていたが、構造や環境、構法的な知識をいくら詰め込んでも優れたアーキテクトにはなれないのではないか
(知識だけでは優れたエンジニアにもなれまい)。

建築デザインは技術を寄せ集めてできるのではなく、
一貫した価値基準をもって様々な与件を解きながら強い魅力を感じさせる価値観を提示することが肝心だと、
少なくとも私は思う。

矩計図をガリガリ描くのはいいが、全体のデザインで魅せたい部分を無視しては意味が無い。
まして詳細図を描くことに満足していて描くに際して全く考えていないでは困る。

自分で収まりを考えないで描いて何の意味があるのか。
(変なところで根太が切れていたり、二次部材を取り付ける金物が変なところに出てきたり…)

意匠設計の能力に関しては修士2年の学生で日本の3年生程度の実力しかなかった。
同じクラスターに入っていた学生だけが偶然そうなのかもしれないがかなり心配な傾向だ。

TAの何人かも学生としては優秀なのかもしれないがグループワークでプロジェクトをまとめる際のノウハウがまるでなっておらず、
役割の分担の仕方や時間管理(段取り)が下手だった。

あまり愚痴ってもしょうがないが色々とストレスがたまる。
ともかくも一部の学生に破壊されたとはいえ最終成果物を出せて良かった。

2012年9月23日日曜日

連動幾何学

このところ連動幾何学と呼ばれてるものに興味がある。


名前の通り「連動して動く幾何(図形)の学問」なのだが、
これを使って何らかの関係性をもったまま、
図面を編集して設計に役立てるというのがざっくりした目標である。

例えば通り芯が歪んでいくのに連れて、
自動で壁や床材の割付も変形していくような「図面」が作れると、
通り芯だけをどんどん変形していけば、
ドアだとか床材だとかをいちいち描き直さなくてすむ。

(そういう省エネな使い方が第一の目標ではないけれど、これがわかりやすい例かと思う。)


今やりたいことは、何らかのアルゴリズムを図形がキープする関係性と結びつけること。
この理論的研究が重要(だと思う)。


そして、この動く「図面」を描くのにProcessingを使おうとしているのだけれど、
なぜかそうすると「パソコンの人」というレッテルを貼られる。

で、アルゴリズミック・デザインもCGのアーキヴィズもデジタルファブリケーションも一緒くたにされる。

実際にやっている人間以外は違いがちゃんとわからない現象はなかなかに辛いものだ。
アメフトとラグビーみたいなもので当人からすると
「むしろ何が同じなの?球技ってところ?」とでも言いたい。

2012年9月2日日曜日

コンペのこと


さるコンペティションについて考えたこと

今を去ること一年あまり前、とあるコンペに応募した。
そのとき参加したことを批判というか非難されて些か驚いた。

私個人の基本方針としてコンペは日程と内容に無理がなければ極力参加するようにしている。
日程に関してはむしろ多少無理があっても参加している。

積極的に参加したいと思うのは審査員に尊敬する建築家や興味のある人物が入っているときだ。
賞金の多寡は気にしていない。
どうせ取れないのが大半なのだから気にしてもしょうがないのだ。
金銭について考えれば採算性を重視することになってコンペは不毛な限りだ。
割のいい家庭教師でもやったほうが稼げる。

ここしばらく、というのは2011.3.11以降の日本の状況を鑑みてtepcoのインターカレッジには躊躇してしまうことはあるが主催者で選ぶというようなことは基本的にない。

しかし、その時に私(というよりも私達応募者)に当てられた批判というのは、
「コンペをなんだと思っているだ!このコンペはコンペの価値を貶めている!参加者は共犯だ」
「コンペを愚弄する気か!」
「国際と銘打っておきながら実際には日本の学生と若手の馴れ合い」
「若手の建築家の売名に肩を貸して学生は馬鹿だな…」
といったものだった。 私の認識としては。

このコンペは枠組が普通とは異なっていて、そのことに批判がなされていた。
私はこの時初めてコンペに参加することに随分と思想的な価値判断が伴っていることを思い知った。

建築家は時にかなり際どいところとも付き合いを持つ。
あまり具体的には書きたくないが、宗教法人に巨大建築を頼まれたりであるとか。
古い例を挙げればドイツのシュペアーのような人もいる。

しかしこれはそういう批判ではなく、コンペティションそのものの価値、あり方が問われていた。

冷静になって考えれば賞を量産するだけのイベントとも言えるし、
何も考えずに応募したのは軽薄に過ぎたかもしれない。
なおかつ件のコンペに関しては手のひらを返して批判するという気にもならない。
価値観の転倒を起こすほどの大事とも思えないからだ。

ベニスでのイソザキ展を通してまたコンペティションについて考える機会があったが、
競技の枠組み自体に工夫をしようとすると非常に難しいことを感じる。

今後、コンペを企画する側になることはほぼありえないが、
プロポーザル批判などさまざまな議論があることだけは気に留めておきたい。
またグダグダ書いてしまったので「そもそもなぜコンペをやるのか論」は別の機会にする。

ともかく、むやみに参加したり請け合うのはよろしくないと思っている。

2012年6月23日土曜日

Stockholm

行ったところ

Skogskyrkogårten
森の葬祭場 (T18線の同名の駅)
マスタープランは秀逸。
軸線を通しているのにいやらしさがないのは、
ボリュームの配置や道の太さにキモがある気がする。

景観自体は八ヶ岳辺りにいくと見える牧場と大差ない。
建物はそれほどキレがある感じではない。

Marukuskyrkan
聖マルク教会 (T17線Björkhagen駅)
外見は慎ましく、パッと見は魅力がわからないが内部空間が良い。
中庭も水をはさんで心地よい場所をつくっている。
奥へ行くほど良くなっていく建物。

Stadshuset
ストックホルム市庁舎 (中央駅Centralen近く)


一部が結婚式場になっている??
見学ツアーに参加すると碧の間も入れる。


Klara Kyrka
クララ教会 (中央駅近く)

Skansen(公園というか博物館とかイベント会場のある島)

不幸にしてMidsummerで中に入れなかったけれど、
ストックホルム市立図書館(wikipedia)も極めて重要な作品。

2012年5月30日水曜日

飛んでBerlin


見たかったもの

  • チェック・ポイント・チャーリーの集合住宅
  • 帝国議会(連邦議会)改修
  • アルテス・ムゼウム
  • 新ナショナルギャラリー
  • オランダ大使館


運悪く帝国議会もオランダ大使館も予約がいっぱいなので又の機会にというような話。

チェックポイントチャーリーの集合住宅は、
OMA作品で市街地に埋もれているものを見たのが初めてだったせいか、
今までみたOMAの作品と違う印象を受けた。

とはいえ、直に見たものといえばカサダムジカとツォルフェライン炭鉱跡の博物館だけ
なので違うのは当たり前かもしれない。

穴の開いた庇が伸びていているが、
特徴的な造形をチェックポイントチャーリーの交差点から感じることはない。

断面の設計にコンセプトの面白さが詰まっているはずなのだが、
一階のマックしか入れないし
プログラムの積み重なり=ベルリンの縮図としての建築を体感できなかった。

ゼンゲリスとザウアブルッフという組み合わせにかなり期待していただけに
ちょっと物足りなかった。
ちゃんと見れなかったことが大きい、モノは悪いわけではないと思う。


アルテス・ムゼウムはドイツ新古典主義の巨匠であり、
ミース・ファン・デル・ローエにまで影響があるとされる
シンケルのオーダーとプロポーションをとくと見る。


フランスの新古典はローマ的なドームの要素が強いし(パンテオンはじめ)、
理論化された3種のオーダーを積むものだが、
ドイツ新古典はギリシャの要素を純化しているように思う。
ドームも中心に位置しているものの支配的ではない気がする。
(ま、印象論ですけどね)

ミースのナショナル・ギャラリー。
梁背がやや予想より大きい。
本当にピュアな作り、で建物芸術である。
「社会性とかプログラムとかそういう話はいいの、黙って見なさい」と言われるよう。

重々しい鉄骨の重厚感と四周ガラスで外から内部、向こう側の外部が重なって見える。

鉄骨で作られたギリシャ神殿。



その他、シザの集住がすっかり汚されていたり(立地によるものが大きい)、
ザウアブルッフ・ハットンのしましまの湾曲オフィスのファサードの作りをみたり、
駅舎をリノベーションした美術館シリーズのハンブルク駅美術館をオルセーと比較したり(オルセーの方がもともとの駅舎もいいし、リノベーションも上手い)
西欧における火葬場を始めてみたり、
ペローの土木的な操作をVelodromeとスイミングプールで考えたりした。


ペローについて

彼の経歴がなせる技なのか、土木的な手法で建築のあり方を変えてしまうことが多い。


梨花女子大や、Velodrome、フランスの国会図書館もある意味では
地面の下に埋没させるのは土木的だといえる。


Velodromeを鉄道の線路沿いから見て気づいたことだが、
しばしば建築写真で見られるような窪地に沈み込んだ見た目より、
線路沿いの高架下のようなファサードが市民には見えているのではないだろうか。

高架下の空間を利用するアイディは腐るほど学生コンペや学校の課題で見るが、
土木構築物の持つある種のおおらかさを建築にまとわせることで、
建物が意図せず獲得する強さ=暴力性を操作している。

盛土の上に植栽があるせいで、ランドスケープ的とみられることもあるが、
ランドスケープが意識的にせよ無意識的にせよ自然を擬態しがちなのに対して、
ペローはもっと意識的に土木構築物=人工物を作ろうとしているのではないだろうか?


「フランス庭園は極めて幾何学的な造形で植物を加工するではないか」
という指摘もあろうが、
建築を柔らかくするという意図でランドスケープを用いるのならば、
ピクチャレスクや自然派のアプローチになるのではないだろうか。

造園設計は専門外な上に
現代フランスにおけるランドスケープデザインの主流がどういうものなのか
あまり良くわからないので、
色々言ってもしょうがないのだが、

ランドスケープ的という言葉はペローには不適切であり、
土木的というほうが適切な気がする。

2012年5月24日木曜日

Köln

留学が残すところわずかだと気づき、
ドイツ国内を全然見ていないので急遽旅に出る。

件のコンペの2次提出も波乱の後にクリアし、
準備期間がなかったので電車での移動とする。

思い立って2日、
Quer-Durchs-Ticket(42Euro)でRE以下の電車乗り放題なので
8時間かけてKöln(Colongne)に到着。

途中に止まりたい街がいくつもあったが、
宿代が高いので厳選したプランである。


いつかドイツまた来たい…

ケルン大聖堂はずんぐりむっくりな印象。
都市軸と建築の軸がねじれている上に、
鉄道駅との関係で足元の広場のあり方がかなり特殊。

翼廊の正面の広場が最も人が多い。

ZumthorのKolumba Museumはすでに閉館時刻。
日を改めることに。

2012年4月19日木曜日

スイス行って来ました

ドイツと言う国は世界地図にある通りの形なのだが、
ドイツ文化圏(ドイツ語を話し、ビールを飲み…)は
スイスの一部、オーストリアまで広がっている。

バイエルンの都から電車に乗って4時間あまり。
チューリッヒは非常に近い。

スイスは現代建築の熱い国の一つで、
有名作家だけでも
ギゴン・ゴヤー(ジゴン・グイヤー)
ヘルツォーク・ド・ムーロン(ヘルツォーク・デ・ミュローン)
ディナー・ディナー、
クリスチャン・ケレツ、
ピーター・メルクリ(ペーター・マークリ)と
例を挙げればキリもない。

大雑把に言って外皮への注力に目を見張るものがあり、
開口の操作、壁面の素材、ファサードエンジニアリングの水準は極めて高い。

しかしプランニングや立体的な空間構成に関してみると、
やや物足りないところはある。

ETHで留学中の友人というか先輩というか…
さる方にスイスでの教育についても聞いた。
非常に近い時代との歴史的な関係性をスイスだと意識的に考えさせるらしい。
リファレンスにサリバンのギャランティービルが出ていたりした。

2012年3月28日水曜日

奇妙な日々

とあるコンペを数名の友人と協同でやっていて
一次の提出と同時に、モロッコに休暇に出た。

初めてホンモノの砂漠、ホンモノのノマドと出会う。


場所によって全く表情が違うモロッコの街。
赤いマラケシュ、青いシャウエン。


モロッコの話は語り尽きないのだがその前後に奇妙なことがあった。

コンペ提出の数日前、こんな夢をみた。

「昔、男ありけり。
男は生きることの意味など知らずにテイタラクに毎日を送っていた。
あるとき男のもとに神々が現れた。

『お前は今日死ななければならない。
それは運命で決まっていることだ。
しかし、もしお前が今から船に乗り、
世界を一人で一周してくるのなら、
あとしばらく生きることができるだろう。』

男は不条理を嘆いたが、すぐさま舟に乗ることを選んだ。
舟に乗ってしばらく航海し、男は小さな街で食料を買おうとした。

その街ではアジア人の商人が日本人を騙り「NIPPON」という商店を営んでいた。
不当廉売される偽物の日本製品をいがみ合いながら買う客をみて、
男はこう思った。

『なぜ人間はこうも醜いのだろう?
なぜ私はこんな世界に生きていなければならないのだろう?』

男は鬱々としながら、その場にいることに耐えられず、
旅を続けた。

そして、男はとある街に来た。

その街では人々が街路を丁寧に掃除し、
愛くるしい市場の建物では和気あいあいと店番と客たちが語らっていた。
すべてが美しく、安らいだ雰囲気だった。

『あぁ!生きることはなんと素晴らしいのだろう!
この街でなら生きていきたい。
航海なんて馬鹿らしいことは止めて、この場所に住みたい!』
男が船を離れようとした時だった。

再び神々が現れた。
『航海を止めてしまったお前は、
もう生きることができない。』
男は困惑していった。
『私は、生きることの意味を見つけたのです。
どうして死ななければならないのですか?』
神々は静かに首を振り、男は生き絶えた。」

モロッコ最後のよる。
部屋の電球がつかないのでひねってみると、手元で爆発した。

そんなこんなで生きている。

2012年3月3日土曜日

朝早く再び列車に乗る。
lisboaで見るべきものは少ないと聞いていたが、郊外まで脚をのばすと良いものがある。
旅のお供にしばしば連れられる淵上正幸氏の『ヨーロッパ建築案内』にのっていないもので、
理科大の坂牛先生がブログに載せていた灯台博物館を訪ねてみようと思いたつ。

カスカイスの街はlisboaから電車で30分あまり。
夏場は保養地として賑わうそうだが冬は閑散とした海辺の町である。

ここにはソウト・デ・モウラが設計したpaula lego美術館もある。
街の案内所は10時から開いているという看板を掲げながら10時を回っても人気がない。

しょうが無いのでとぼとぼ地球の歩き方の地図に書きこまれた先輩のメモを頼りにCasa なんちゃらpaula legoへとむかう。

赤い建物なので目に入るとすぐに気づく。
コンクリートの表情が独特だ。
中の展示が入れ替え中で展示室は見れなかった。
しかしミュージアムショップや階段、カフェなどを見る。
売店の天井が外見のとんがり帽子のままにぶち抜きの吹き抜けでいたく驚く。
階段の手すり周りはまた奇妙なディテールで(スチールと木を組み合わせてつくっている)
ソウト・デ・モウラのこだわりを感じさせる。
しかしこの人は自分の内面のパッションみたいなものを熱烈的に形にしているが、
その確信みたいなのはどこから来るのだろう?

そこから歩いてマテウスの灯台美術館を訪れる。
前掲の坂牛先生の記事で気になっていたものだ。

白い建物が生粋のモダニストを予感させるが、
展示棟は外装にタイルを用いて既存の灯台との関係をつくっている。

このタイルの貼り方が140mm角を基本とするアズレージョからずらしてあるのが面白い。
さらに家型のボリュームをつくりつつも、抽象化された軒の出がない形態である点に注目すると面白いことに気づく。
壁面にも水勾配をつけている。

たしかにタイルですべて仕上げるならこれのほうが合理的である。
雨だれも残らず綺麗な壁面であった。

市内に戻り、Chiado museu, Effel elevator, 建築家協会などをみてまわり、再び万博会場跡地に行く。

前回見忘れたゲートタワーやいくつかのパヴィリオンを見て宿に戻る。
夜はムラタくんがいい感じのお店に連れていってくれた。
(実は予定の店と違うところに入ってしまったようだったが、全体的に似たような街区だった。)

最終日はポストモダンの遺物のショッピングセンターを見る。
グッド・バイ・ポストモダン。

昼飯に近所のスーパーに併設されたカフェで魚のグラタンみたいなのを食べる。
「飯くうと日本に帰りたくなるよね」
そんな会話をしていた。
おみやげにチョリソーをもらい昼過ぎの便でlisboaを発つ。
小汚いけれどなんとなく憎めない感じの街だった。


帰国便もまた遅延し空港を駆け抜けるも、
乗継の飛行機も同じく遅れており急ぐ必要はなかった。
ターミナルの真ん中が走り抜けるための通路であることに気づく。

以後は乗り継ぎ時間にも気を使うようにしようと思う。
宿で朝食を軽く済ませ、チェックアウト。
Casa da MusicaでSerralves美術館とセットのチケットを買っていたのでそこへ向かう。
またしてもバスが良くわからん。
長めに歩きつつも到着。

トップライトで自然光を利用した展示空間の先駆けの美術館らしい。






もともと私有地の庭園の中にあるので
カフェやオフィス部分は庭が綺麗に見える開口が取られている。

光に関する技巧が中心の白い空間である。
ホワイトキューブではなく幾何学が色々な所で働いている。

庭に出て歩いて行くといくつか野外の展示にも出くわす。

ルートみたいなものがあるのかないのかよく分らない感じで気づくと裏方に来ていた。

またよく分らないバスに揺られCasa da Musica駅に向かう。
そこからメトロ、電車を乗継、Aveiroという小さな町に移動する。
地球の歩き方とかでは2,3ページの場所だがこの街のAveiro大学は
シザ、ソウト・デ・モウラなどが設計した建物が並んでいる。
駅から街の中心まで20分歩き、そこからさらに15分位でキャンパスにつく。

レンガを基調としているはずだがソウト・デ・モウラは打ちっぱなしで反抗している。

コンクリートの型枠は階高と同じサイズのものを使い、大理石の庇、奇妙な手すりのディテール。

シザはレンガを使っているものの酔狂な感じの局面。

(屋根と天井も局面だが内部は撮影禁止)
シザは指定がなければ壁に同じ石材を使っている印象がある。

中庭が明るい建物。

この街の名産らしい卵黄の甘ったるい餡を使ったモナカを食べて、lisboaへと戻る。

lisboaを一日で出てportoに向かった。
ausmipの巴里組の何人かが先にportugal入りして
portoにいるというのでそれを追ったのだ。

新幹線のようなものAPに乗る。
後で知ったがICという列車の方が圧倒的に安い。
快適だった景色も代わり映えしなくなった所でPCを取り出し、あれこれ。

portoの方がlisboaより文化水準が高い印象を受けた。

道に迷いつつ(バスが本当にわかりにくい)
porto大学建築学部でキトウ氏を首魁とする巴里組に合流しシザ様の仕事を拝見する。

白い幾何学による光を意識した空間がひたすら展開される。

「ああ、こんなに空間意識で建築をガリガリ作っていいのか」
という妙な感慨を覚える。
プログラムがどうのとか社会性がどうのとか、構法的な意識とかそういうのはなく、
白い幾何学である。

階段の納まりとか突っ込みどころもある。

更に歩いていける範囲にあるというシザの集合住宅を見る。
間口が以上に狭かったりどういう内部なのか謎が多い。



この強い壁のすぐ裏がメトロのLapa駅なのだが
そちら側の壁はいたずら書きですごいことになっていた。

そしてportoの建築名所Casa da Musicaへと向かう。

英語のガイドツアーに参加。各部屋の設計時の想定と現在の使われ方、材料等の説明を聴く。






















様々な仕上げが用いられているが、なぜかそれを見ているとOMAのプレゼンテーションや
コールハースの著作を読んでいる時と同じ反応を脳がしているらしく
ものすごい文字量を読んだような錯覚を覚える。

とても理屈っぽいが同時に建築と言うよりは現代美術の立体作品的な仕上げだと思った。
マテリアルはコンペの時からバジェットの都合だとか技術的な問題で変更があったらしいが
個々に思考が詰まっている感じがする。
床の仕上げや壁面にメタルが多用されていてギラギラしている。


説明の英語を聞き間違っていなければ、
clubbingと称して月に一回催されるイベントでこの建物は街を中に取り入れている。
各部屋全てにオケやDJなどが入り夜中から明け方まで延々と音楽を流して人々が集うらしい。
これを公共機関というか行政がやっているのだからすごい。

その後、本日の宿にチェックインしに行き、
近所にある観光名所らしい白い本屋を見る。

本当に見せ場なのは内部の流線形の階段だがそこは撮影禁止。
うね〜っとしている。好みによるシロモノだと思う。

この日泊まったホステルはCINEMAというテーマで運営されていて、
大量のDVDコレクションに加え、
各部屋に映画が割り当てられ鍵にもそのイメージがステッカーなどで貼られている。
階段や廊下、バストイレにもポスターがある。
http://www.rivolicinemahostel.com/
宮崎駿の作品も「天空の城」「モノノケ」「ちひろの冒険」が並んで貼られていた。
(La Puta は the Bitch という意味になるらしく他の国では「天空の城」とだけ訳されるらしい。あとの2つはちゃんと理解されていない感じがする。)

オードリー・ヘップバーンがいたずらっぽく微笑む「ティファニーで朝食を」のポスターを眺めながら少しstudy。
日付が変わる辺りで就寝。